インタビュー

"好きなことで生きていく"に縛られず、自分で選択する人生を┃私のスタイルはフリーランス

2021年7月21日

インタビュー3人目は、スノーボードサークルの後輩の真奈をフューチャー。文章を書く”ライティング”を武器にクリエイティブディレクターとして活躍。大学を卒業して、一般企業には就職せず、そのままフリーランスに。

「女性が自分が決めた道を進むのは、まだ簡単じゃない」と言いつつも、彼女の歩みは、今の仕事のスタイルや現状に悩んでいる人に刺さるものだと思います。そして、”好きなことを仕事に”という言葉に囚われている人は、読み終わる頃、気持ちが楽になるかもしれません。

大学を卒業してからすぐにフリーランスになったと思うんだけど、詳しく教えてくれる?

大学4年の時、東京のフィンテックの会社に就職が決まっていました。しかし、4年生の年明けくらいに「就職したくないな」と思うようになり、就職しない術を探し始めました。大学生の時に一度はみんなそう思うように(笑)。で、自分に何があるんだっけ?というのを探している時にはてなブログで趣味でブログを書いていることが頭に浮かんできました。そのブログは閲覧数は大したことなかったですが、知らない人からリアクションをもらうこともあり、「もしかすると、文章を書くのは人より得意で武器になるかもしれない」と思いました。

ライターを始めるキッカケになった東北一周一人旅

それだけで就職しないという決断をするのって結構すごくない?

「文章を書くのは人より得意かもしれない」ということは分かったんですけど、それでどうやって稼ぐかは、正直イメージが湧いていませんでした。なので、卒業までの4ヶ月間で、文章を書くことで生計を立てることができたら内定を辞退しようと決意しました。そう決意して動き始めて、クラウドワークス等を使って、2ヶ月で新卒の初任給くらいは稼げそうなことが分かりました。なので、そのまま内定を辞退てし、社会人1年目をフリーで過ごすことにしました。

1年目からフリーランスって大変そうなことも多そうだけど、実際どうだったの?

ライティングってクリエイティブの仕事の中でもかなり末端の仕事だったので、それだけでは単価も安くて結構しんどかったです。フリーで1年目が終わる頃くらいに、「もうちょっと自分のやれるレンジを広げたい」と思って、大阪で広告代理店に就職しました。

フリーを経験してからの就職だったんだね。広告代理店ではどんなことをしてたの?

フリーでやっていた文章を書く部分は活かしつつ、クリエイティブのディレクションを担当していました。お客さんが実現したい成果に合わせて、なんでも提案できたのでデジタルも紙も包括して経験できたのは大きかったです。本当は30歳くらいまでそこで会社員でやるつもりでしたが、いろいろあって続けるのがきつくなりました。

2年間の会社員を経て、再びフリーになったんだね。

「よし、独立するぞ」という感じではなかったんですけど、改めてフリーに戻ってみて、自分にはフリーのほうが向いていると感じます。

どういうところが向いてたの?

全部自分で決めたいんですよね。働く時間、金額、仕事の内容、どの人と働くか。私には収入の安定よりもその要素が大事でした。

241:メンタルが健康的ってマジで大事よね。

生きてて楽しくなりました!

フリーで仕事を受注していくって難しくないの?

それに関してはテクニックとか無くて、ラッキーの連続でやっているような気がします。フリーになったタイミングで、2年間全く連絡取ってなかった人から、「元気?」って連絡がきたり、違う経営者の方を紹介していただいたりして、それが上手く繋がっていってお仕事させてもらっている。後は、昔より業務的に私のレベルも上がっているので、要望に応えられるようになっているんじゃないかと思います。

つまり一言で表すと、真奈の仕事とは?

肩書でいうとクリエイティブ・ディレクターです。ただ、ものを作るディレクションをするだけだったら誰でもできるので、そこにブランディングとかマーケティングとかを絡めて、ビジネスのサポートをしている完全に裏方の仕事。例えば、「ブランド立ち上げたけど売れない」、「会社を立ち上げてみたけど、思ったように人が集まらない」とか、そういう相談をしてもらったら、クリエイティブという手段で解決策を提案できます。一括でクリエイティブと言うと大雑把ですが、ウェブサイトやECサイト、クラウドファンディングなど数ある手段を総合的に判断して、成果に結びつくような提案をしています。「何が分からないかが分からない」みたいな相談でも、大丈夫です。困ったら相談してもらえればと思います。

241:なるほど、おれも自分で何かするときは真奈に相談するよ。

ここまで自分で決めた道をブレずに歩んでいるような印象を受けたんだけど、真奈の人生観にスノーボードは何か影響を与えている?

まずは、スノーボードというより、スノーボードサークルのShuffleについて話したいです。Shuffleを知ったのは、大学1年生の10月くらいに友人に紹介してもらったのがキッカケでした。同志社大学には結構勉強して入って、高校生の時の部活の弓道部では近畿大会でメダルを取るレベルまで頑張りました。自分で言うのもあれですが、大学に入るまでは華々しいキャリアでした。しかし、大学に入ってみると、何もすることがなかったんです。入学初期に入ったサークルは気付いたら幽霊部員でした。このまま、「私の大学生活、バイトと酒で終わるんか?」って思ってた矢先に、Shuffleを紹介してもらいました。飲み会に行ってみたら、おもしろそうな人がたくさん居て、入部を決めました。

Shuffleのスノーボード合宿

Shuffleに入部するまでは、スノーボードしていた?

してませんでした。それでも私がShuffleに入り込めたのは、遊びだけど、みんなめっちゃ一生懸命やってるし、本気で1つのことをやろうとしてる人たちが集まっていたからです。部員それぞれのやり方は違うし、目指してるところも違うけど、何かを一生懸命やってる集団に大学生入ってから出会ってなかったので、新鮮で、その人達に囲まれているのは、居心地がよかったです。「大学生って頑張るのだせえ」みたいな空気感が、なんとなくあった中で、周りに流されずスノーボードする、というのがよかったですね。それで、スノーボード自体も好きになったし、Shuffleという存在にもハマっていきました。

241:まあ、Shuffleは大学では浮いてたよね、でも見る人が見れば面白い集団だったと思う。

高校の時に何か頑張ってて、くすぶってる大学生はshuffleに入ったほうがいいと思います。

Shuffleでスノーボードと出会うわけで、そこからの2、3年は、その後の人生に何か影響を与えた?

正直言うと、スノーボードという競技からはそこまでの影響は受けていません。私は、怖くて飛んだり擦ったりできなかったし、そこまで上手くなかったので・・。しかし、スノーボードに関わっていた人たちからは、影響を受けていると思います。ぶっ飛んでる人が多いですよね、いい意味でも悪い意味でも(笑)。板履いただけで、10m以上飛んでる人とか、シンプルにやばいですよね。

生活のスタイルも特殊でした。冬はスノーボードして、夏はバイトして、世界の山を渡り歩く。そういうスタイルを当たり前にやっているんですよ。自分がそれまで見てきたのは、いかに偏差値が高い大学を出て、いい会社で働くかっていうのが大事な世界でした。それに疑問を持ったことすらなかったんです。スノーボーダーって、今までの人生で見たことなくて、想像してなかったようなことをしている人たちだったんですよ。

最初は「いい歳して、そんな生活してていいの?」って、そういう目で見てたんですけど、就活のシーズンが来て自分の進路を考えた時に、「スノー業界に居る人たちって、なんか生きてるの楽しそうやな」って思い出したんです。大人になったら夢とか語るのとかって恥ずかしいけど、スノーボーダーって「俺は絶対あの山滑るねん」とかベクトルがスノーボードに向いてなくても、そういうことを語れる人が多いと思います。そんな人たちを見ていると、そういう生き方の方が楽しそうって思いました。

でも、私はスノーボードではなかったので、「この人らみたいに自由に生きたいけど、私にはしたいことがない。」と、その時悩んだ記憶があります。そこで悩んで、「文章が得意で書ける」というのを思い出して、就職せずにフリーの選択をしてみようと思いました。

241:なるほど。冒頭で話してくれた「就職しない術を考えた」っていう考えは、この体験も大きな影響を与えてたんだね。

でも、この段階で自分の武器を「文章を書くこと」に絞れるって個人的にはすごいなと思うよ。

単純にそれしかありませんでした。歌えない、踊れない、容姿で食べていける訳でもない。何も無かったけど、ブログを書いていたおかげで、「これは人よりできる」と思うことができました。あとはシンプルに書くのも好きだったのが大きいです。

俺はその決意がすごいと思うんだよなあ。あと当時少しフリーランス流行ってたよね?

そうなんですよ。4年前は、キュレーションサイトがすごく流行ってて、「質が悪くても大量生産」みたいな時代でした。それは駆け出しの自分にとっては良いタイミングで、おかげで、「何十本、何百本記事を執筆した」っていう実績ができました。その執筆は筋トレみたいな感じでしたが、そこから取材の案件をもらったり、インタビューのお仕事が自分で取れるようになりました。

241:努力もすごく積み重ねてたんだね。

先輩として、大学生の後輩たちに、なにかアドバイスはある?

今って、「好きなことを仕事にしよう」とか「自分らしい仕事に就こう」というのが人生における正解みたいな風潮がありますよね。それが自分には、とてもプレッシャーでした。その言葉通りに生きるのが、人生の成功という風に思われがちです。「好きなこと探さなきゃ」とか「自分らしいこと探さなきゃ」というのに囚われて、結構しんどい気持ちになった時期もありました。

最終的には「文章が好きだ」と思ってライティングを始めましたが、好きというより、人よりできたっていうだけだった気がします。でもそうやって、しんどい気持ちを持ちながらも一生懸命生きてると、「なんとなく、これかも?」っていう自分がビビッてなるようなものに出会えると思います。もしかしたら、それは自分が思い描いていたことではないかもしれないけど、心がざわざわっとするようなことに出会えたら、怖がらずにやってみたらいいと思います。間違ってたら辞めればいいし、嫌いな人からは離れたらいい。「私なんか無理かも」とか思わずにとりあえずやってみたらいいと思います。ダメだったら辞めたらいい!

241:なんかその話、気持ちがちょっと楽になるね。YouTube開くたびに「好きを仕事に」って言ってくるもんな。

あとは、「嫌な人や、ものから離れる」っていうのも大事だと思っています。自分の存在やスキルを否定してきたり、価値を感じてもらえない人がいるところからは早急に離れて、大切にしてくれて、必要としてくれる人のもとで毎日を過ごす。これは好きなことをするよりも、すごく精神衛生上大事だなと思っています。

241:精神的に健康かどうかって本当に大事だよね。おれもこの3年くらいでそれを感じたよ。

最後に真奈の”ワークライドバランス”を教えてくれる?

事実ベースで話すと、去年のシーズンは1日も滑れませんでした。その前のシーズンは三日間でした。なので、年1回スノーボードトリップに行くというペースですね。今年スノーボードに行けなくて、改めて思ったのが、「都会の仕事から離れる時間を設ける」ことの大切さです。スノーボードの時間は、頭のリセットというか、すごく開放感があるじゃないですか?

241:まあ、あのスノーボードの速度を日常生活では出せへんからな。景色も含め開放感はあるよね。

都会だと、「遠くを見ること」って実はあまり無いじゃないですか。パソコンの画面ばっかり見てるし・・。自然を肌で感じながら、必死に滑ってみんなに付いていく時間って大事だったなって思います。なのでこれからは、少なくとも1シーズンに3日くらいは、忙しいを言い訳にせず、仕事から離れてライドの時間を取りたいと思います。フリーランスなので、その辺りの仕事のコントロールも上手くやっていきたいですね。

241:もっと雪山の周りも仕事がしやすくなるといいよね。俺もたまにやってみたりするけど、やっぱりWi-Fi難民になる。今年の冬も2年前みたいなグッドセッションができたらいいね!

  • この記事を書いた人

Takahiro241

年間滑走100日の横乗りLOVER。スノーボード歴15年、サーフィン歴3年、スケボー歴8年。ランニング、サッカー観戦、カメラなど趣味が多いです。

-インタビュー
-