インタビュー

夢も憧れも口に出して現実に変えてきた┃スノーボードをスターウォーズへ繋げた男のストーリー

2021年7月9日

インタビュー2人目は大学時代の後輩。大学時代にスノーボード映像を作ることにハマり、そのまま映像の世界へ。たった数年でターミネーターやスターウォーズといった、誰もが知っている作品に携わるクリエイターに。そんな男の熱いストーリーを今回は紹介させてください。

岩崎航輔

Digital Paint Artist & 2D generalist at Industrial Light & Magic

同志社大学グローバル・コミュニケーション学部卒業。現在はカナダ・バンクーバーに住んでいるVFXアーティスト。 LosrBoys School of VFXでNukeを学び、現在はILMのバンクーバー支社で働いている 。

もともと映像に興味を持ったキッカケっておれが記憶している限りはスノーボードだと思うんやけど、そうだったっけ?

岩崎:そうです!自分にとってスノーボードは切っても切り離せないものですね。スノーボードをしてる時って自分とすごく向き合うじゃないですか。フリースタイルで表現が自由。僕はそれを芸術だと思いました。スノーボードが好きで技術の向上に励んでましたけど、途中から仲間が滑ってるのを見て、すごいなと思って映像をはじめました。単純に雪山でしか見られないものを、色んな人に見せたかったんです。「人間がこんなすげえこと出来るんだぞ」って。その手段が映像でした。

なるほど、シンプルな理由でいいね。でもどうして映像を続けられたの?

岩崎:仲間の映像を撮り続けて、動画撮影・編集というのがすごく自分にしっくりきました。映像を撮ると、滑り手が喜んでくれるのを見て「俺でも映像を通じて人を喜ばせられるんだ」っていうのを思いました。そういう小さな成功体験の積み重ねです。

小さな成功体験の積み重ねっていうのはスノーボードで技を習得するプロセスに似てるね。他にスノーボードの影響はあった?

岩崎:スノーボードをしている人種は自分から見て特殊でした。僕は同志社大学でもかなり意識の高いゼミにいたんですが、そこに居る人達はGoogleとかAmazonを目指したり、一流企業に就職するような優秀な人達が多くいました。そういうエリート街道が自分の前には広がっていました。スノーボーダーはその人達と対照的、と言ったらおかしいかもしれませんが、スノーボードやっている人は吹っ切れていて、やりたいことに素直な人が多かったと思います。人生をスノーボードに捧げている人たちを見て、自分にもっと素直になっていいんだということを学びました。スノーボードをするために仕事をして、それ以外の時はお金を稼いで、自分がしたいことのために人生を生きる。「生き方は1つじゃないんだ」って。それは妙高で山に籠もったり、びわ湖バレイでディガーしていた時に感じました。「やりたい事に素直になる世界」をスノーボードには教えてもらいましたね。

ノルウェーのHafjellでの1枚
スノーボーダーってほんとに素直な人が多くて最高だよね。スノーボードから人生観を学んだり、映像で小さな成功体験を積んできたのは分かったんだけど、「映像でやっていく」って思ったのはどの瞬間なの?

岩崎:何かがバチッといきなりハマったわけではなくて、北米に行きたいというのが映像よりも先にありました。アメリカに留学した時に個性を尊重してくれる文化が好きになり、「絶対こっちに帰ってきたい」と思いました。実は昔から、あまり日本が自分に合っているという感覚は無かったです。団体ではどちらかと言うと浮いてましたし。なのでスノーボードしながらも、北米に行きてえっていうのをずっと考えてました。

なるほど。俺も海外経験があるから感覚的には分かるな。アメリカでインターンもしてたんだっけ?

岩崎:はい。大学のプログラムでLAでインターンをしていました。現地の日系の企業でしたね。そこでその企業の若手社長に言われたことがすごく響きました。

なんて言われたの?

岩崎:「多分、アメリカに帰ってきたいと思っていると思うけど、何かを極めないとこっちには居られない。それは何でもいい。なんでもいいから極めなさい。」って言われました。加えて、「あなたは卒なくなんでもこなせるタイプだけど、壁にぶち当たるとすぐに新しいことを始めるでしょ」って。それが妙に自分にぶっ刺さったんですよね。

そこまで鮮明に覚えてるってのは相当刺さったんやな。そこからどうしたの?

岩崎:そこからめっちゃ考えました。自分はその段階では、スノーボードは好きでやってたけど、普通の大学生やし、それ以外マジで何もなくて。でも「無いなりに自分は何が出来るやろう」って考えた時に「スノーボードの映像作るの好きやったなあ」っていうのが出てきました。それで色んな人が喜んでくれたし、褒めてくれたし、趣味でスノーボードの映像作ってただけやけど、「もしかしたらこれを極めればなんとかなるかもしれない」と思うようになりました。まあでも、美大も出てなくて、普通の大学生の自分が映像で生きていくなんて言うのはその時だと「なに言ってんねん」レベルでした。映像で飯を食うってどういうことか分からなくて、就職に流されそうにもなったけど、結局スーツを一回も着ることなく、履歴書も一枚も書くことなく、なんかわかんねえけどこれしかねえって貫き通してました。まあ当時はGoPro振り回してただけでしたけどね(笑)

同志社のあの環境下で、周りに流されず、自分を貫き通したのはほんとにすごいよ。

岩崎:で、「マジで何か始めないとやばい」と思って映像関係の仕事を探し始めました。そこで、結婚式のウエディング映像を撮るバイトを見つけて、そこに入りました。それがはじめての映像の仕事でした。仕事の内容は結婚式中、新郎新婦を撮影して、結婚式が終わるまでに編集してエンディングで流すというものでした。そこでカメラの使い方の基礎を学びました。まだあの時代はジンバルとかなくて、カウンターウェイトで撮ってました。そこでお金をもらいながら勉強しましたね。でも、美大を出てなくてアルバイトしただけの自分を採用してくれる企業はありませんでした。そんな時に圭司さん(プロスノーボーダーの岡本圭司さん)からAVII IMAGE WORKSを紹介してもらいました。スノーボードをやってたからこその出会いでした。

現場での岩崎
AVII IMAGE WORKSでの生活はどんな感じだったの?

岩崎:入社した段階で、社長の陸王さんには「いつかアメリカに行きたい」ということは伝えていました。その時のAVIIは陸王さんが独立したばっかりで、お金もクライアントもオフィスも何もない状態でした。一軒家の1階がオフィスになってて、自分は2階に住み着きました。ほんとに一番はじめは仕事がなかったので「ビラ作って町内に配る」みたいなところからのスタートでした。それくらい仕事がなかったので、もう営業も自分でやるし、1案件1万円切っているようなものも受けましたね。ここだけの話、僕の最初の給料は一桁に近かったですよ。なのでお金が全然無くてリアルに、もやし炒めで乗り切ってました。これは余談なんですけど、陸王さんの自宅でご飯をごちそうになる機会があって、その時にめっちゃ嫌いな納豆が出てきました。普段食絶対食べないんですけど、あまりにも空腹過ぎて納豆に手を出しました。そしたらめちゃくちゃ美味しくて。金なさすぎて納豆克服できたんですよ(笑)

立ち上げ当初のAVII IMAGE WORKSのメンバー
すごい経験をしてたんやなあ。

岩崎:自分にとってこの経験は大きかったです。1年目でしたけど、企画書書いて、メール対応して、営業して、中小の社長さんと商談してって感じでフリーランスのクリエイター並の動きをしていました。おかげでお金を生む難しさを学べました。「ほんまにお金をゼロから生むってマジで大変やねんな」っていうのを身を持って感じましたよ。

その感覚を卒業してすぐに理解するって、普通の人の3-4倍くらいの速度で時間軸が動いてるよね?

岩崎:はい。責任は重かったですが、毎日は充実してました。実はそうやって仕事をする傍ら、夜はデジタルハリウッド大学のオンラインの講座を受けてCGの勉強をしていました。会社終わって、夜寝るまではひたすら勉強です。そうやっているうちに自分の技術もついてきて、任せてもらえることは何でもやってました。撮影、映像編集、サウンドのミックス、レコーディング、CG、文字通り何でもです。おかげで生活は厳しかったですが、仲間と高めあって、スノーボード関連の仕事もさせてもらったし、BONXにも関われました。

その忙しさで学校に行って勉強してたのは全く知らなかったわ。すごすぎるな。そこからアメリカに行って、VFXをやることになると思うんやけど、ここからどう動いたの?

岩崎:このままAVIIに居たとしても、そこからアメリカへの繋げ方が全く分からなかったです。なので、そこはある程度ジャンプするしかないなっていうのは感覚的に分かっていました。AVIIでの生活はほんとに充実していましたよ。でもそんな中で、母親にガンが見つかったんです。摘出が成功して健在ですが、めっちゃエネルギッシュだった母親がガンになったっていう事実を聞いた時に、「あ、人って普通に死ぬな」って思ったんですよ。「あの母親でも(母はミセスジャパン)、こうなるんやったら時間無いわ」って。それがキッカケで「先にアメリカ行ってしまおう」と思いました。実力は全然だったので、現地の学校調べて、そこに入学しました。そっからは簡単にエスカレーター式に進みましたと言いたいところですが、学校に住み着くレベルで一年は勉強しました。南米人に引かれるレベルでしたね(笑)おかげで、学校からの推薦で、ルーカスフィルムの系列会社にインターンで入社しました。ちなみにその会社のバンクーバー支社がはじめてインターン採用したのが僕です。そこで1番初めに携わったのが、ターミネーターニューフェイトとスターウォーズでした。

いや、もうすごすぎて俺の感想とか要らんわ。でも、「人って死ぬな」って思う場面、アラサーになってくると増えてくるよなあ。

岩崎:あ、面白いエピソードあります。AVIIを辞めるってなった時に、紹介してくれた圭司さんには報告しなければいけないと思って相談しに行きました。その時に「なんか目標あるん?」って聞かれて、「とりあえずハリウッド行ってスターウォーズやります」って宣言しました。この時、自分の中でスターウォーズって実は全然決まってなかったんですけど「なんかデカイこと成し遂げないと、背中を押してくれた人たちに申し訳ない」と思って咄嗟に出ました。それに「スターウォーズってもっと遠い先の未来のことになるやろ」と思ってましたしね。そしたらインターンで携わったのがいきなりスターウォーズやったんですよ。大したことはしてなんですけど、動いたら現実になるんやなって思いましたね。

それこそほんまに言霊やん。いきなりスターウォーズやもんな。

岩崎:実は昔から、「過去形で実現したいことを書く」っていうのをやってます。バンクーバーに来るっていうのも、AVIIに入社した時点で部屋にバンクーバーの写真張って、中二病みたいに”ファイナルディスティネーション”って書いて、それ見ながら寝てました。ILM(現所属)が決まったときも、それより前から「いいコンディションでオファーが複数もらえました。ありがとうございました。」って書いてて、それが実現しました。今は、「奇才の日本人アーティストとして日本、海外で有名になることができました。ありがとうございました。」って書いてて、最近CGワールドっていうCG界の1番大きい雑誌から取材依頼が来ましたね。ちなみにこの習慣は昔から母親がやってて、それを真似ています。

イチローとか大谷翔平がやってそうなレベルのことをやってるな。いろいろ話聞いて、この4-5年の成長には本当に驚くんだけど、後輩に何か一言アドバイスとかある?就活とか自分が進む方向に不安な後輩は多いと思うから。

岩崎:まだまだそんなん言える立場じゃないですが、学生時代にスノーボードに打ち込んで思ったのは、何でも良いから、好きなことをちゃんと一定期間やり込むというのがいいと思います。打ち込んでみると、何かしらの壁とか改善点にぶち当たります。適当に過ごして周りに流されていると、そういうことをしてみないと、意外に自分と向き合うタイミングって無いんです。自分の場合は、それがスノーボードで、映像に転じました。キングス何回も行って何がしたいねんとか、そんなんでええんかとかそういう声もあったりする。でもそれは自分について考えるいい機会だと思います。

なるほど。「そういうこと言われるくらい何でもいいからやってみないと、見えないものがあるぞ」と?

岩崎:「何やってんねん」とかそういうことを言われた時に、そこで何を思うかが大事です。「おれはそれでもこれが好きやねん」って思ってもいいし、先のことを考える機会にしてもいい。大事なのは「どういう生き方をするのか」を考えることです。就活とかで悩むのって、考えきれてないということだと思います。大学生は時間があるから、好きなことに打ち込んでみて、自分と向き合う時間を作るべきですね。何もやらないのは停滞です。停滞イコール後退なので、何かを全力でやりながら、そこで出てくる課題とかチャレンジ、周りからの声に耳を傾けて、自分の将来を考えるキッカケを作るといいと思います。

スノーボードの撮影
自分が大学生の時にこのアドバイスをもらいたかったなあ。そんな大人なこと考えながらキングスでロデオ540やってたんだな。ギャップがすごいわ。最後に皆に聞いてるんだけどWORK RIDE BALANCEを教えてくれる?

岩崎:今はビーチの近くに住んでいるので、とりあえず仕事が終わったら天気を見て、夏場はSUPに行きますね。SUPの上で夕日が落ちるのを眺めてるんですけど幸福度が高すぎます。SUPをしない時は近くのスケートパークでSURF SKATEをやってます。SUPとスケートをはじめたのは実は最近なんです。冬はスノーボードがあったから気付かなかったんですけど、夏場に横乗りがないことによって、冗談抜きで精神が結構おかしくなっちゃって。仕事とかアートのパフォーマンスを上げようと思うと、何も作業のことを考えない時間が1日のどこかに必要なんです。スケートやってる時って目の前のスケートに集中しないと死ぬじゃないですか、スケートだけに集中することで、頭がリセットされて新しいアイデアが出てきたりします。それで精神と頭のバランスを保てます、横乗りだけに(笑)

冬は、仕事が終わったらグラウスマウンテンに滑りに行ってます。去年も実は30日くらいは滑りに行ってますよ、仕事終わって1時間だけとか。車で30分で夜の9時まで開いてるのは強いです。

それできるの最高じゃない?

岩崎:はい。関西で言うと、京都からびわ湖バレイ行くノリで、びわ湖バレイよりも大きいスキー場があるみたいな感じです。次の冬は違うスキー場にも行きたいので、車を買おうか考えてますよ。

グラウスマウンテンの夜景

241:WORKだけじゃなくてRIDEもちゃんとやってるところ、変わってなくて嬉しいわ。来年はウィスラーでセッションだな!

  • この記事を書いた人

Takahiro241

年間滑走100日の横乗りLOVER。スノーボード歴15年、サーフィン歴3年、スケボー歴8年。ランニング、サッカー観戦、カメラなど趣味が多いです。

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