インタビュー

「できるだけ長くスノーボードを続けたい」競技者としての人生とライダーへの憧れ┃高橋あおいインタビュー 前編

プロスノーボーダーとアイリストの2刀流をテーマに、様々なことに挑戦している高橋あおいさん(以下、あおいちゃん)。今年の10月にはクラウドファンディングで支援を募り、自らのサロンをオープンしました。競技者として大会を転戦し世界大会に出場した経歴のある実力者で、先日のスノーバンクでも活躍。しかし、それでもスノーボードだけで食べていくのは難しい現実がありました。

そういう部分を早い段階から理解しつつ、プロスノーボーダー×アイリストというキャリア形成をイメージして専門学校という道を選択。在学中もライダー活動を続けながら卒業しました。そんな風に、ライフスタイルを自分の手で作り出そうとチャレンジしている、あおいちゃんに今までの活動とその先に見据えていることを語ってもらいました。

241:まずはサロンのオープンおめでとう!

Q:オープンまでは結構忙しかったんじゃない?

そうですね。それもあって例年以上にオフは滑れなかったですね。でも小さい頃からやってるからたまに練習に行っても、意外と動けるなって感覚はありました。現状維持だけでは戦えないのは充分に分かってるので焦って練習してるところはあります。

※取材はスノーバンク前

スノーボードとの出会いと憧れ

Q:「スノーボードは小さい頃からやってた」って話してたけどどんな始まりだったの?

始まりは小学生の時です。親がスノーボードをやっててスノーヴァ溝の口に連れて行ってもらったのがきっかけですね。今、23歳なので歴でいうと14年ぐらい経ちます。

Q:当時はどういうモチベーションで滑ってたの?

昔って、今よりアマチュアが出れる草大会とかイベントがたくさんありました。小さい頃から参加しているうちに色んなライダーさんと仲良くなることができて、その人達から楽しく滑ることを教わったので、プロになりたいというよりライダーになりたいと思ってました。ライダーという存在に憧れてましたね。それが小学校5、6年生くらいの時です。

241:なんか早いね笑 俺は17-8歳くらいでスノーボードにハマりはじめたから、小学生の時点でライダーに憧れてるってかっこいいなって思った。でも、上手くならないとライダーにはなれへんやん?

Q:どういうプロセスでスノーボードが上手くなっていったの?

スノーヴァのレッスンに通ってました。お母さんが仕事が終わってから夜のレッスンに連れて行ってくれて平日でも滑ってましたね。併せてクエストとかキングスにも行ってたし、土日は絶対滑ってたから週3~4日は必ず滑る生活を続けてたと思います。

241:なるほど、室内ゲレンデでスキルを磨いてきたんやね。

あおいちゃん:一番大変なのは親ですよね。でも親も滑る人だったから一緒に滑ってました。

241:一緒に楽しめるのってすごくいいね。

あおいちゃん:お母さんが居てくれたおかげでその周りの大人がわたしに教えてくれることもあったので練習環境はすごくよかったと思います。シーズン中は、中学生くらいの時から籠もりみたいなことはしてました。親が宿だけどうにかしてくれて「あとは頑張って」みたいな感じで雪山に置いていかれてましたね。主にスロープスタイルの練習をしていました。

スロープスタイルの練習に力を注いだ

Q:どうしてスロープスタイルにしたの?

最初はジブの方が好きでした。ビビりだったので怖いことをしたくなくて。ジャンプのほうがスピード出るし怖いんですよ。でもジブばっかりやってたら、知り合いのライダーの親御さんに「ジブだけだったらストリートやるの?女の子には過酷だよ」って言われました。そこで「ジブもジャンプもやってスロープスタイルにしたほうが楽しいかもよ」ってアドバイスをもらって、その頃はビビりだったのでその人の言う通りにジャンプもすることにしました。

スノーボードの競技者として

Q:大会にも出てるイメージだけど、たくさん出場してたの?

そうですね。一応、世界大会に出るところまではいけました。インディーパークジャムっていう大会で優勝してワールドルーキーツアーの出場権を獲得しました。

そこまでやってましたけど、わたしがスロープスタイルを始めたときってオリンピック競技ではなくて、周りも「ラフにみんなで楽しもうよ」って感じの世界だったので、お客さんと近くで接するライダーの方に憧れてましたね。そういうライダー活動をしたかったんです。

241:なんかおれのイメージと違ってきたな笑。早い段階で表現思考寄りのカルチャーの人たちと滑ってたのが大きそうだね。

あおいちゃん:DVD全盛期だったんで、試写会とかでライダーさんが自分のパート取って盛り上がるみたいなキラキラしてる世界に憧れてました。

Q:スポンサーはいくつくらいのときについたの?

中学2年生くらいのときにSMITHが初めてつきました。その後にムラサキスポーツ、高校生くらいのときにALLIANがつきました。

Q:スポンサーがついたのは競技的な成績と将来性というところが大きかった?

そうですね、ある程度のリザルトを出せたのと将来性を見込んでだと思います。でも実はスポンサーがついた当時は大きいリザルトが無かったので、そこからもっとリザルトを残さないとライダーとしては有名になれないと思って競技メインで頑張ってました。

Q:成績でいうとどんな感じだったの?

PSAのプロ戦、猫魔のスロープスタイルは2位でした。あとは、岩渕レイラちゃんと村瀬ココモちゃんがプロに上がった年にわたしもプロにあがりました。その時、中学3年生です。全日本の1位がレイラちゃん、2位がココモちゃん、3位がわたしでした。そのくらいのところで戦ってましたね。

1位レイラちゃん、2位ココモちゃん、3位あおいちゃんという激戦の年

241:すごいね。レイラ、ココモ世代だったのか。

Q:じゃあオフトレも競技者として勝ちたいみたいなところのモチベーションが大きかった?

競技やってた時は勝ちたいっていうモチベーションがあったのでその通りですね。年々ジャンプのサイズが大きくなってきてたので、飛べるようにならないとヤバいと思って練習してました。でも基本的に滑るのが楽しいっていうのはずっとありますよ。

キッカーのサイズは年々大きくなった

Q:その中で、どういう時が一番楽しいの?

ん〜、新しい技ができたときかな?笑

241:めっちゃ競技志向やん笑

あおいちゃん:根はめっちゃ競技志向です。

Q:今までのスノーボードキャリアを振り返ってみて嬉しかった瞬間とか思い出せる?

1つ目は世界大会の出場が決まった時、2つ目はALLIANがスポンサーに決まった時ですね。ずっとALLIANのライダーになりたいと思ってたのですごく嬉しかったです。

アドバンスマーケティングがスポンサーについて壁にサインをした

241:俺の中で「あおいちゃんすごかったな」って思ったのが去年のスノーバンクよね。絶対入賞したと思ったけどな〜。ゾーン入ってたよ。

あおいちゃん:自分的には練習してきた技があの場面でできてよかったです。でもジバーの人たちに評価されるようなスタイルのある滑りができなかったのは悔しかったですね。

241:まあでもあらためて、小学生からスノーボード続けて世界大会まで出たってすごいよ。

競技者人生の後のスノーボードとの関わり方

Q:スノーボードだけで生活していこうって思ったことはある?

あんまりそういう風に思ったことはないんですよね。

241:話を聞いてると、なんかスノーボード一本で食べていこうとか思ったりしても不思議じゃないのにって思うよ。

Q:いつくらいにスノーボードだけで食べていくのは難しいと思ったの?

高校生の時ですね。競技やってる中で、自分より上の世界に行ってる子の話を聞くと金銭面に苦労してる選手が多かったです。その様子を目の当たりにして「あたしが競技で命がけで頑張ったところでそれで一生食べていけるか?」って思ったんですよ。あとは競技を幼少期から続けてみて自分が競技者として向いてないと感じて、よりライダー活動の方に力を入れていきたいと思いました。

そう考えた時にスノーボードとは違う仕事を1つ見つけないとライダー活動をずっと続けていくのは難しいというのが見えてきました。

美容の専門学校にて

241:なるほど。競技をやってたことで厳しい世界を目の当たりにして色々考えるところがあったんやね。仕事とライダー活動の両立についてここからは詳しく聞いてきたいな。

後編に続く。

  • この記事を書いた人

Takahiro241

年間滑走100日の横乗りLOVER。スノーボード歴15年、サーフィン歴3年、スケボー歴8年。ランニング、サッカー観戦、カメラなど趣味が多いです。

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