インタビュー

「白馬に来てもらうキッカケをスノーボードで作りたい」いいスノーボードはいいコミュニティから┃佐藤敦俊インタビュー

2022年6月27日

白馬村で中古スノーボードの買取販売事業をメインにオリジナルスノーボードを手掛ける佐藤さん。最近ではLINEオープンチャットを活用して白馬村の情報発信を行い、地域貢献にも尽力しています。コミュニティの参加者は1,000人を越え、スモールにスタートした試みは大きなうねりになり、観光のスタイルを変えうるものになりました。

そして、佐藤さんといえば「白馬の山だけを滑るためのスノーボード」「特殊構造のデッキパッド」「30秒でオンライン査定」など、思いついたアイデアを実現してきた実行力が魅力。SNSでの発信も積極的に行っているので、見かけたことがあるスノーボーダーも多いはず。今回は佐藤さん自身が今まであまり語ることがなかったスノーボードのルーツや考え方、そして思いついたアイデアを実現していく実行力の源泉を詳しく語ってくれました。

Snow Peak LAND STATION HAKUBAにて

まずはスノーボードのことから詳しく聞いていきたいと思います。佐藤さんが全裸でフロントフリップしてる画像はよく見かけるんですけど、意外とスノーボードのルーツについてはみんな詳しく知らないですよね笑。

スノーボードが大好きでとにかく滑りまくった10代~20代

───スノーボード歴はどれくらいになりますか?

今41歳でスノーボードをはじめたのが17歳。だからスノーボード歴24年かな。

───スノーボードをはじめるキッカケはなんだったんですか?

実家の近くに室内ゲレンデのザウスっていうのができて、いとこのおじさんに高校1年生の時に連れて行ってもらったのがキッカケだね。「手ぶらでスキー」っていうCMが当時テレビで流れてて、湾岸スキーヤーっていうワードも流行った。室内ゲレンデでスノーボードデビュー、それが17歳の時。

ザウスで滑り明け暮れた

───じゃあもうその次の年くらいからはゲレンデにも行ってたんですか?

湯沢エリアには行ってた。最初の2年くらいは飛ぶことに興味なくてひたすら普通に滑ってた。でもある時、スキー場にキッカーができてそれを飛び始めたらハマっちゃったんだよね。

───その頃のモチベーションはなんだったんですか?

1人で滑るのがおもしろかった。友達を作らずにストイックに滑るほうが上手くなると思ってて。スマホとか無い時代だから、バックパックにHowTo本入れていって、1本飛んだらそれ読んで、またハイクしてみたいなことをずっとやってた。ほんとにずっと1人でやってた。

241:普通逆じゃないですか?はじめは仲間と滑るのが楽しいっていう人が多いイメージあります。

1人で黙々とやるのが好きだったんだよね。大会とかも1人ででてた。

241:ということは、10代~20代前半は大会で勝つのが目標だったんですか?

そうだね。

大会で勝った時

───大会を意識してたのはなぜですか?

やっぱりプロになりたかった。プロになったその先の目的とかはなかったんだけど、とにかくライダーっていう存在に憧れてて。なってどうしようとかじゃなくて、なりたくてなりたくてどうしようもなかった。あと当時ちょうどオリンピックにスノーボードが採用された時で本気で出たいと思ってたし、根拠はないけどなぜか自信はあって、それに向かって1人で練習してた。

241:20代のそういう時期ってゲレンデ行けば新しいことが習得できるみたいな時ありますよね。僕は自分が結構才能あるんじゃないかみたいに勘違いしてましたね。

それはちょー思った。あとは死なない。絶対に死なない。

───「死なない」っていうのはどういうことですか?笑

昔はYouTubeとか無かったし先輩しか先生がいなかった。その先輩は「バックフリップは顎を引かずに歯を食いしばれ」「ミスティは右の脇のニオイかぎ続けろ」「フロントロデオは昇竜拳しろ」みたいな教え方で。それで育って血まみれになるわけよ。でも死んでない。だから死なないっていう謎の自信だよね。

───普通、怖いとかいう気持ちが出てきそうなんですけど恐怖心とかなかったんですか?

そうだねえ、多少はあった気はするけど、それよりも成長していくことの方がおもしろかったんだろうね。

早い段階で気づいたスノーボードの楽しみ方の変化

───年齢を重ねていくとスノーボードって楽しみ方とかスタイルも変わっていくと思うんですけど、そこから変化はありましたか?

一方通行でずっと追求してたんだけど、あるタイミングで飽きがきた。その時ちょうど大会でも勝てなくなってきてた。22歳のときかな。「このままどうしていこうか」って考えて友達を増やしてみたらファンライドが楽しくなったのよ。

でもその時はパークしかやってきてなかったから「パークやらない人はクソだ」みたいな尖った考え方をしてた。バックカントリーにも興味なかったし。だけど、なんとなく段々そっちにシフトしていかないと「このままスノーボードやめちゃうかもな」とも感じてたのが23歳くらいだね。

今も変わらずパークも楽しむ

241:そういうスノーボードのシフトに気づくの早くないですか?

そうかもしれないね。

───そこからスタイルは変わっていったんですか?

友達も増えて、ニュージーランドにも18歳から毎年行ってた。メインはカドローナっていうパークゲレンデを滑ることだったんだけど、バックカントリーとかに興味がでてきたタイミングでクラブフィールドっていう会員制のスキーエリアに出会ったのよ。その時にクラブフィールドの沢を滑るためだけのスキー”キングスウッド”っていうのと出会って、それをいつかやりたいと思った。それが今やっているオリジナルボードに繋がる。23歳のときだね。

241:そこで影響を受けて今のHakuba Specialに繋がるんですね。白馬に移ったのはいつでしたっけ?

30歳を超えてからだね。

───23歳から30歳まで結構間があるじゃないですか。その期間はどんな感じでスノーボードをしてたんですか?

はじめた頃からずっとパークだったのが、どっちかていうとバックカントリーとかフリーランに寄っていった。そういうのが楽しい海外の山にも興味がでて結構行ってたよね。

241:海外でもパークとかじゃなく山を滑るとかになったんですね。

今まではスノーボードに使うお金はパークで上手くなるためだったんだけど、だんだん変わって、ジャクソンホールとかアラスカに行くようになった。

241:佐藤さんが20代の頃ってまだウェブで簡単に情報が手に入る時代でもなさそうなので難易度高そうですよね。

───ジャクソンホールとかアラスカに行くっていうインスピレーションはどこからなんですか?

自分が見てたビデオの影響はあった。ビデオの右下にロケーションが書いてあるんだけど、かっこいいと思うやつには毎回アラスカとかジャクソンホールって書いてあって。だから頭に「いつか行きたい」ってインプットされてて20代で全部行ったよ。

241:1人で行ってたんですか?

今の奥さんと海外トリップには行ってたね。

ジャクソンホールの有名ポイントをドロップする佐藤さん

───奥さんと滑るようになって、スノーボードの楽しみ方って変わりましたか?

1人でやってるよりも2人でやってたほうがおもしろかった。飛んだりパークを滑ってても。2人で全財産を滑ることに使ってた。

241:もうできるだけ滑走日数を増やしてきたんですね、すごいです。

そうそう。とにかく滑りたかったから大学卒業しても全然就職したくなかった。その頃、カムイ龍ケ崎に通ってたんだけど毎日そこで練習したくて、カムイ龍ケ崎の横にあったディーラーに電話してそこに就職した。「そこのディーラーで働けば毎日カムイ龍ケ崎行けるじゃん」みたいな笑。営業マンって実績出せば何でもありな世界だったからめっちゃ頑張ってトップセールスになって自由な時間を捻出しまくった。

241:それはスキル伸びそうですね。

すごい伸びたよね。

241:僕の佐藤さんのイメージって初見で躊躇なく縦回転とかやってくるイメージなんですけど、ぶっ飛んでますよね笑

いやいやいやもう全然。自分の中では安パイなことしかしてないよ。今考えたえらオフトレ施設とか行かず、よく雪の上で取得したなとは思うけど。

得意のバックサイドロデオ

白馬移住の経緯と中古スノーボード買取販売事業のスタート

───白馬に来るくらいまでは年間滑走日数はどんなもんだったんですか?

25歳くらいまでは300日くらい滑ってた、確実に。

241:基本的には「どうにかして上手くなりてえな」ってモチベーションで年間通して滑ってたんですね。

───そこから白馬に繋がるかなって思うんですけど、白馬の魅力ってなんだんったんですか?

フリースタイルあがりでバックカントリーやりはじめたじゃん、そうすると今までパークしかみてなくて別のカテゴリのバックカントリーって考えてたんだけど実は違うくてその上に上位概念でビッグマウンテンフリースタイルっていう世界があるって思った。そしたらそれの聖地はどこだって思った時に白馬だったっていう。2000m級の山にすぐアクセスできるってないじゃん。

241:そういうのをやっていきたいと思って白馬で滑ってみたんですね。

そう、それが20代後半。

───白馬(小谷村)に移住しちゃってもいいなって思ったのはいつくらいからですか?

まあ若いときからいつかは住んでみたいっていうのはあったけど、現実的になったのは、たまたま物件見つけたとかそういうことがあったからだよね。34歳のとき。

241:じゃあ7年前くらいってことですね。

なんでかっていうと奥さんが妊娠したっていうのがでかくて、いろんなターニングポイントでみんなスノーボードから離れると思っててそれのトップは子どもが生まれたってことだと思うんだよね。そうすると絶対にみんな3年はできないって言うんだけどそれじゃ悔しいじゃん。だったら移住したら出来るんじゃないかっていう。そういう感じ。

241:そこで移住が明確に現実味を帯びたんですね。

最後のチャンスだと思った。逃したらスノーボードが途絶えちゃうと思った。

241:どうにかして毎年滑りたくて、白馬を選んだっていうのがあったんですね。

───移住するタイミングとモンスタークリフ(佐藤さんの会社)は同時並行で進んでたんですか?

もともとうちの弟がモンクリを立ち上げてて、その時はウェブ制作会社だったんだけど、そこからスノーボード買取っていうのが伸びてきて、そのタイミングで自分も一緒にやりはじめた。移住する前からモンスタークリフっていう会社はあった。

───中古スノーボードいけんじゃねえかっていうのはあったんですか?

どうなんだろ・・。今でもいけないと思ってるけどね笑。

241:でもあんま居ないじゃないですか。ブックオフとか除けば、個人でああいうふうにやってるのってあまり聞いたこと無いです。

もともと若いときから働くのが嫌で、ハードオフとかでスノーボード買って、ヤフオクで売ってその差額の3,000円ゲットして「これでリフト券代稼げたじゃん、やったー」みたいなことやってた。モンクリの買取事業もその延長線にあって「この事業いけるからやる!」みたいなのは思ったことないね。今も思わないもん笑。

241:おもしろいですね。でも佐藤さんがほんとにやりたいことって自分のオリジナルボード、白馬の山に合わせたモデルを作るとかじゃないですか。

中古スノーボードの買取販売から自分のオリジナルボードの販売へ

───中古スノーボードの事業って、オリジナルボードの販売に繋げるための手段てきなところはありましたか?

いやもともとそうではないんだよね。でも「好きな仕事してていいですね」ってよく言われるから「そうですね」って答えるしか無いのよ笑

自分の心に正直にいうと「ほんとにこの仕事好きかな」って思ったりすることはあって。中古スノーボードの事業は通年、毎日スノーボードに触れられるのはいいけど、中身はほとんどが細かい作業。特に検品とかね。これが性格的にはそんなに合ってないかもみたいな。

地味な作業は多い

そこで”自分がほんとにやりたいこと”ってなんだろうなって考えてみた。お客さんに常に気を遣い続けるのはそんなに得意じゃないから、ガイドとかショップは向いてない。だから「自分一人が滑って、自分と向き合うことが仕事になること」ってどんなことだろうって探してた。そしたらそれが今やってるオリジナルのスノーボード作りだったのよ。スノーボード作りって自分と向き合ってその感覚を形にすることだから最高なんだよね。

241:たしかに、それは理想っちゃ理想ですよね。でもそれって中古スノーボード事業で色んな板を触ってる佐藤さんだからこそ乗った感覚をプロダクトに落とし込めると思うんですけど、そういうところで中古スノーボードをやっててよかったなって思いますか?

あるある。年間数万本査定していろんなボード触ってる。めっちゃ古いのから最新まで。しかも目の前が雪山だから、すぐ気になった板に乗れるじゃん。これはかなりでかい。

例えば「あの沢を滑るためだけの板を作りたい」ってなった時どういうイメージで作るかと言うと「あのボードと、このボードを合わせたものに近い」みたいなイメージなんだよね。全くのゼロから考えてるわけじゃなくて。自分の場合はそのアイデアの引き出しがめっちゃあるから、それはもしかしたら自分の強みかもしれないね。

241:それは佐藤さんにしかできないと思いますよ。僕の意見ですけど、特定のライダーだと同じブランドの板しか乗れないし、ショップの店長がサンプルボードいっぱい乗ったとしても限りがある。佐藤さんは年式もメーカーも形も触れられるスノーボードの母数が圧倒的ですよね。だから形にできてるんじゃないかと思います。

もしかしたらそうかもしれないね。

241:じゃあ天職みたいなもんじゃないですか?

楽しいよね。どんどん楽しくなってきてる。自分がやりたいことはこれなのかもなってのは思う。

241:まあでも、僕とかだったら作り手の人がスノーボードやってきた経歴がないと信用できないっていうか「本当にその板いいのか?」ってなるんですけど、お話お伺いして、今も滑り続けてて数万本のスノーボードを触って「この人マジじゃん」って思いました笑

昔から結構マメなところがあって、ただ梱包するんじゃなくてその時気になったこととかを全部メモしてた。だからオリジナルボードを作りたいなって思ったときに、昔ニュージーランドで見たキングスウッドのことを思い出せたんだよね。それを形にしたのがガラガラ沢専用モデル。

241:そういう構想はあっても形にできないことがほとんどなのですごいと思います。

───”〜山を滑るためだけのモデル”とかにこだわるのは理由があるんですか?

そういうスノーボード作りって実はスノーボードの本質なんじゃないかと思ってる。ジェイクバートンさんも最初はパウダーの丘からスタートしてるじゃん。「あの沢を滑るためにボード作ろう」みたいな。じゃあ次に考えることって「あの丘を滑るためにはどういう形で、どんな性能だったら適してるんだ?」みたいなことじゃん。それと同じようなことをHakuba Specialでやってみてる。みんなからは「そんなの需要ないよ」って言われてたけどね。

241:実際のところ売れてるんですか?

安いから売れてるっていうのはあるかもしれないけど、一応売れてるよ。

241:あの値段で売って買取保証もつけてるのはすごいですよね

そうだね、業界から刺されるかもしれないな笑。

───買取保証をつけてるのって意図があるんですか?

質問と若干ズレるかもしれないんだけど、3つの強みを常に意識して、自称日本一を目指してる。1つ目が年間数万本のスノーボードを触ってるところ、2つ目が地域や場所に特化したもの、3つ目が価格。この3つを大切にしていて、それを地域密着型ブランドと名付けてる。そのブランドの大きな役割として「白馬に来てもらうキッカケをスノーボードで作る」ということも大事にしてる。

241:なるほど「最終的にボードが白馬に興味を持つキッカケになればいいな」みたいなところはありますか?

そう。白馬にきてもらうためのスノーボードなんだよね。

241:逆に白馬を滑り慣れてる人にとっては”山に特化したスノーボード”みたいな見え方をするということですよね。

いいスノーボードはいいコミュニティから

───佐藤さん:いいスノーボードを作るってどういう意味だと思う?

241:んー、難しいですね。乗り手がしたい滑りができる、乗り手の気持ちになって作ったスノーボードがいいスノーボードなんじゃないですか?

日本のスキー場はみんな独立して経営してるけど、海外ってスキー場は不動産の一部って考え方なんだよね。つまり「いい街作りをすれば自ずといいスキー場になる」って考え方なんだけど、実はスノーボードもそうなんじゃないかと思ってる。自分の場合はLINEのオープンチャットがそれに繋がってくるんだけど「いいコミュニティを作れば自ずといいスノーボードが出来る」という風に感じてる。スキー場と一緒で、オープンチャットは”いいコミュニティ”でそれが大きくなればなるほど”いいスノーボード”ができるんじゃないかなって。

241:それは佐藤さんじゃないと見えてこない視点だと思います。僕はスノーボードの性能的な答えしかできなかったですが、佐藤さんの次元までいくと「スノーボードで街が変わっていくんじゃないか」というところまで見てるってことですよね。

例えば、カタログ見ててなんとかテクノロジーが入ってるとか言われても正直分かんないじゃん。BURTONのカスタムも去年と今年モデルの違いが乗っても分からないもんね。説明書は「ここが変わりました」みたいなことを強調して書いてあるけど、その細かいところに一生懸命になってもいいスノーボードって作れないんじゃないかって思うんだよね。

241:そういう見え方をしてるんですか。なるほど、あのオープンチャットの動きとかコミュニティの熱量は最終的に佐藤さんが作るスノーボードに集約されてアウトプットされるんですね。

そう、コミュニティ型の狭域メディアなんだけど、白馬に来てくれた人とか興味を持ってくれた人が参加してくれたら徐々にどんどん拡大してくよね。ここが盛り上がることによって通年で白馬ファンが増えるかもしれない。ファンが増えたら自ずと白馬を滑るためのスノーボードって価値が出てくるよね。「いい街づくりはスキー場の発展に通ずる」のと同じで、いいコミュニティのおかげでいいスノーボードが出来上がってくるんだよ。

241:すごくいいですね。この話ができるのってやっぱり佐藤さんくらいしかいないと思いました。

───思いついたことに対してすぐ実行してみて考えるタイプじゃないですか。そういうのはスノーボードの影響を受けてるんですか?

受けてるんだろうねえ。10代からやってるからなあ。どう受けてんだろうなあ〜。

241:待ちますよ笑。

スノーボードがいいなって思うところの1つに個の遊びでもあり団体の遊びでもあるってところがある。その中でセッションって言葉が大好きなんだけど、セッションって競争じゃなくて高め合いっていう意味なんだよね。セッションを通じて自分の限界を超えて、自分を高める。向き合うのはいつも自分。その精神っていうのは常に真ん中にある。今につながってるよね。

241:競争じゃなくて自分を高め続けた先に佐藤さんの今のポジションができたと。

自分にしか向き合ってない。そうしてると気づくと周りに誰も居ないっていうね。モンクリの買取販売もそうじゃん。

241:たしかにそうですね。

みんな競争のところに入っちゃうのは不思議だなって思うけどね。

241:日本人って団体の中にいる安心感とかあるじゃないですか。

そうかもしれないね。

241:めちゃくちゃいい話が聞けたと思います。

───やっぱり白馬に移住してよかったですか?

ほんとによかった。もしかしたらまたどっか違うところに行きたくなったりするかもしれないけど笑。

───ライフスタイルの中にスノーボードがあると精神的に豊かになりましたか?通いで滑ってた時との違いとか知りたいです。

豊かになった。よく白馬に住んでるって話すと「除雪大変でしょ」って言われること多いんだけど、除雪からも学べることがあるよね。除雪してると毎日、雪の層が見えるじゃん、それみて「今日は雪崩そうだな」とか分かる。ほんと雪と関わってるだけでおもしろいんだよね。それはライフスタイルの一部。その情報も既に価値だし、それを価値だと思って除雪すれば毎日楽しめるよね。

241:いいっすね。佐藤さんは目の前のことを全部楽しんでますよね。

いや〜もう楽しくてしょうがない。

241:世間一般的になかなかそういうモチベーションで生きてる人は少ないと思います。なんでそんな楽しめるんですか笑。

いや〜分かんないな。まあ先を考えてないのはあるね。今が楽しいのは大事。ニッシーも10代の時とか「今日だけ楽しかったらいい」みたいなことあったでしょ?でも今は違うじゃん。それってなんでだと思う?

241:なんでですかね〜、未来への漠然とした不安とかですかね。

そう。「あの時に戻れないのはなんでだろう」って考えるとたしかに”不安”なんだよね。10代ってそれが取っ払われた状態。どう頑張ってもそこには戻ることができないんだよ。

241:じゃあ佐藤さんもそういう不安はあるんですね笑。人間だったんですね。

悩んでますよ、悩みっぱなしですよ。

楽しいけど悩みもあると語る佐藤さん

241:身の周りの後輩とかでも佐藤さんのファンがいるので、ポジティブな影響を与えている存在だと思います。実際はいろんな苦労があると思うんですけど、やろうと思ったことをすぐやってみる姿勢がほんとに素晴らしいと思います。そういうところがみんな佐藤さんのことを好きな理由なんじゃないですかね。

どうなんだろ。

───なにか言い残したことあります?

ない。今はオープンチャットに夢中。スノーボードにも繋がっていくからね。

241:滑るなって言っても佐藤さん滑り続けそうですよね。41歳であの攻め方はおかしいです笑。年取っても全力で突き進む佐藤さんをずっと見たいです。

ありがとう。

参考:佐藤さんが手掛ける事業について

モンスタークリフ(中古スノーボードの買取販売)

買取モンスター(https://snow-kaitori.com/)

CLIFF GEAR

Cliff Board新発売(https://cliff-gear.com/)

Hakuba Special

白馬を滑るためのスノーボード(https://hakuba-special.jp/)

  • この記事を書いた人

Takahiro241

年間滑走100日の横乗りLOVER。スノーボード歴15年、サーフィン歴3年、スケボー歴8年。ランニング、サッカー観戦、カメラなど趣味が多いです。

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