前編ではマナトくんの滑りの哲学とライダーとしてのマインドを特集。続く後編では、今のスタイルのライダー活動になった経緯や今後の展望、自身が手掛けるブランドやイベントへの思いを率直に語ってもらいました。
どちらかというとアングラ寄りのスノーボードの表現活動からソーシャルでも積極的に発信していくスタイルに変わっていったように見えてたんですけど、どんな心境だったんですか?
もともとアングラストリートなライダーにかっこよさを感じてて、今もその気持ちは変わらないよ。でも、30歳手前になった時に「この先どうしようかな」って考えたタイミングがあった。特に毎年籠もるみたいな生活の人は一回考えると思う。
もともと25歳くらいでライダーとかになれなかったら、そういうの目指すのは止めようと思ってたんだけどそこはクリアできた。ただそのライダー活動もお金をもらってたわけではなかったから、オフは建築関係の仕事を自分でやってた。オフはオフで仕事モードにスパッと切り替えることはできてたんだけどスノーボードを長年やってきて「このまま普通の仕事をしていくのは嫌だな」って気持ちはずっとあったかな。
今のライダー活動のスタイルに変わっていく大きなキッカケとかあったんですか?
怪我のタイミングでより考えるようになったかな。ちょうど30歳手前くらいの時に前十字靭帯を断裂しちゃって、仕事も出来なくなってゆっくりいろいろ考える時間が出来た。元々、YouTubeで発信はしていて、Instagramでもアピールするのは割と得意だった。そのセルフプロデュースを活かしてもう少し頑張ってみようと思ったんだよね。だから滑りだけの映像じゃなくて、HowToだったり、周りのYouTuber達とも関わるようになって。でも自分が本質的にやらなければいけないのは「滑りで見せる」っていうライダー活動だから撮影も練習もストリートも手を抜かずにやってるよ。
自分の認知度も去年から上がってきてるなってのは感じてて、そのタイミングで自分のブランドもローンチした。いろんなやり方を試したり実行してるけど、根本的なスノーボードへの気持ちの部分はほとんど変わってないってのは伝えたいね。
241:自分がやりたいことと世間に求められてることとのバランス感覚がやっぱり優れてますよね。
自分がやりたいことと求められてることへのバランスみたいな部分で意識してることはありますか?
ぶっちゃけ、俺はまだまだプレーヤーでいたいんだよね。かっこいい滑りを見せたいし伝えたい。でもコアな滑りだけでは伝わりづらいからエントリーユーザーにも伝わりやすいように、やり方とか見せ方を研究して意識してる。
241:さらっと言ってますけど、まあまあ試行錯誤したんじゃないですか?
そうだね。どういう動画がいいのだろうとか色々試した。でも結局は自分のやりたいことはやりたいし、やりたくないことはやりたくない。ふざけた企画とかも全然いいけど、ダサくなりすぎることはしたくないってのは常にある。そのバランスが一番難しいんだけど、いい塩梅を見つけてやってるかな。
とはいえHow Toとか他のYouTuberと絡み始めた時って、周りからの目は気にならなかったですか?
たしかに葛藤はあったけど「やることやってたら気にならないかな」とは思ってた。やることっていうのはストリートの撮影だったり、自分のスキルアップやパークの映像。やることやってれば、やれてないやつらにどうこう言われても気にならないかなって。逆に今ストリートやってるやつらで、毎年パート出せるやつが何人いるんだとか去年の映像と比べてスキルアップしてるって言えるやつがどれくらいいるんだって思うよね。やることやってればヘイターは気にならない。
241:ほんとにやることやってるから説得力がありますね。(かっこいい・・!)
マナトくんのことを知ってるスノーボーダーって増えたと思うんですけど、発信して活動することでこうなっていったらいいなとかありますか?
個人的な見方だけどパークライダーの発信力は、グラトリとかカービングのライダーの発信力に負けていると思う。だからスノーボードを始める人がまずそこに食いついてる気はしてて。俺はやっぱりパークが好きだから、パークやってる人たちが自分のやり方を参考にして、パーク全体の発信力が上がればいいなと思う。そうなれば、エントリーユーザーの目にとまりやすくなるのかなっていう気はしてる。パークを始めたい人が増えれば発信が得意じゃない人たちの滑りも注目されやすくなるんじゃないかと思う。
241:たしかに母数を増やすことは根本的に大事ですよね。
今年は雪が多くオリンピックもあって盛り上がってたように感じるんですけど、実感としてパークユーザーが増えたと感じたりしましたか?
どうだろう、正直あまり実感がないんだよね。「パーク盛り上がってる」みたいな話をする人は結構いるんだけど、パークが盛り上がっているっていう実感はないな。
どうしてそう感じるんですか?
今年は妙高以外のゲレンデにも結構滑りに行ってたんだけど、今まで滑ってきた上手い人が例年通りパークで滑ってるなって感じがしてて。オリンピックとかの影響でもっと人が増えてもいいんじゃないかとは思うんだけど、初心者の団体でパーク入ってるとかそういうのは、あまり見かけてないような気がする。神立とかは多そうだからゲレンデによるかもしれないんだけど。
エントリーユーザーが参入してないっていう課題感は、最近マナトくんがゲレンデとコラボしたいと言ってた話に繋がるんですか?
そうだね。スキー場と一緒にスキー場とパークを盛り上げたいと思ってる。今年のパルコールとかは成功事例に見えるし、そういう動きを杉の原でも実現できたらいいなと思う。
ゲレンデとのコラボというところで具体的に何をしたいとかありますか?
杉の原が好きだから、杉の原で出来たらいいなっていう話になるけど、今までのコア層向けのパークを残しつつ、パーク初心者もしっかり練習できるようなところを作りたいと思ってる。そして、自分がめっちゃやりたいことがあって、Sunday in The Parkみたいな映像を撮りたいんだよね。毎週、ローカルだけじゃなくお客さんの動画もちゃんと撮影して、みんながそれに出るのを目標にしてくれたら嬉しい。「上手くなってあのムービーに出演したい」みたいな感じでね。
241:それができるポテンシャルのあるパークですもんね。
1人だと難しいかもしれないけど、それをスキー場と一緒にやれたら頑張れるよね。
241:俺も出演できるようにがんばりますよ笑
マナトくん自身が手掛けるグローブブランドのSNEAKYSについて聞きたいです
ROMEからグローブのラインが消えて、ないなら自分で作ろうと思ったのがキッカケかな。デザインもプロダクト選定も全部1人でやってる。全然画を描くのが得意とかではないんだけど、頭でイメージはできてるからその世界観をデザインに落とし込んでいるよ。ライダーは目立ってる若手とか埋もれてるかっこいいやつを選出してて、チームムービーとか毎年出していけたらいいなとは思ってる。
241:古き良きスノーボードブランドの世界観ですね。
昔は毎年ブランドからチームムービーって出てたじゃん。そういうプロモーションって最近少ないから大事にしていきたいよね。
241:それでいくと賞金がでるイベントとかもオーガナイズしてましたよね。
マナトくん主催のSNEAKY SNAKE 2022はどういう趣旨で開催してたんですか?
そもそもジブの大会ってすごい減ってきちゃったじゃん。それで自分でやるしかないなって思って。普通のジブの大会だと簡単にできるけど、それじゃおもしろくないし賞金が出たほうがみんなアガるでしょ。シンプルにそういうのしたいなと思ってやりだしたんだよね。特殊なセクションは置かずに、実力を出しやすいセクションでヤバい技をきめて盛り上がるみたいな。それこそFORUM JIB BATTLEみたいな感じだよ。
241:SNSで見ましたけど、結構盛り上がってましたよね。
なんか毎回天気悪いんだよね。それでもみんなハイクして攻めて盛り上がってたよ。毎年やりたい。
241:そこにマナトくんのブランドも絡めてイベントと共に成長していければ、ストーリーとしては最高っすよね。
ここまで動いてもライダー契約だけで食べていくのってやっぱり難しいですか?
絶対に無理だと思う。できるのは本当に世界のトップクラス。カズくんとか、あの領域までいかないと滑り一本っていうのは難しいと思う。今ライダーやってる子たちも分かってるとは思うけどスノーボード中心の生活送りたいなら、もっと考えて動いていったほうがいいと思うね。滑りだけで稼いで生活してくっていうのは理想だけどそれは海外でも難しい。むしろ海外の方が残酷に契約を切られたりするよ。
241:そうなってくると「いかにライフスタイルにスノーボードを落とし込んで続けていくか」っていう世界観が大事になりそうですね。
マナトくんのライダー活動ってこれからどういう方向を向いていきそうですか?
ストリートとパークが中心なのは変わらないかな。まだまだ動けるから自分のスキルアップをしつつ、ストリートもやれる限りやる。加えて、ブランド(SNEAKYZ)を大きくしていく活動をしつつ、YouTubeとレッスンでエントリーユーザー向けにも活動をしていこうと思ってる。「みんなに認知されたい」とかそういう願望は全くなくて、特にストリートは分かる人にわかってもらえればそれでいいかな。
映像に関しては秋頃にSNEAKYZの新製品の発表とかチームムービーと併せて、自分のフルパートも出せたらいいなと思ってるよ。
241:インタビュー通してほんとにマインド的な部分で学びが大きかったです。そして、引き続きマナトくんの活動を取材していきたいなと思いました。