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自由と快適さを捨てないとおれには先がない、uncomfotableな環境を選ぶ勇気

「自由でノーストレスで仲間に囲まれて好きなことをほぼ好きなタイミングでやる」

理想だとおもう。この数年、おれはそんな環境で生活してきた。もうほんとにストレスとかほぼなかった。そりゃミクロでみればあるけど、大局でみたら幸せな毎日だ。都内のIT系のスタートアップに勤め、心理的安全性が担保され、リモートワークも許容されていた。海までチャリで10分以内。サーフィンはライフスタイルになった。茅ヶ崎って街は、独特の雰囲気があって、横乗りが好きな人間であれば、人生の最終目的地に近いくらいの感覚で居心地のいい場所だ。都内まで電車で1時間、箱根なんかも車で1時間以内、熱海も伊豆も近い。スノーボードがしたければ白馬まで4時間以内、オフトレも湘南ブラッシュがあるし、調子のいいスケートパークもたくさんあった。都会的なライフスタイルを捨てずに横乗りを続けられた。今まで海外含め、住みたいところにはほとんど住んでみたけど茅ヶ崎が間違いなくナンバーワンだと思う。住んでるだけでなんとなくイケてる気分にさせてくれる。茅ヶ崎には仲間もたくさんいる。数え切れないほどサーフィンをしたし、サウナも行ったし、結婚式も呼んでもらった。彼らとは死ぬまで仲間でいたい。そんな何一つ制約も不自由もない中、おれは一度あえてその環境から出ないといけないと思った。

このままいくと、ただの独身おじさん

アフターコロナ、徐々に周りの状況が変化する。原則出社に回帰し(リモートで採用されたんだけど)「これじゃあ、ただの都内のサラリーマンじゃん」という感じになってきた。ドアtoドアで1日のうち3時間くらいは移動してるし、気づいたら好きなことやる時間も減っていた。そしたら自分が誰のために何をやってるのかよく分からなくなってきた。もちろんクライアントの財務成果を出すのがミッションだったんだけど、それだけでやってたらおれは幸せなんだっけ?自分の人生のミッションが見えなくなってきていた。

今年で33歳だ。結婚もしてない、もちろん子供もいない。親にはよくライフプランが見えないと言われたが、ライフプランなんてのはなるようになると思って無視してきた。親とセーリングをやっている。年齢でいうと58歳。おれは25歳の時に生まれた子供だ。なにが言いたいかというと、親がまだ若くて元気だからこの歳になっても一緒に遊べるのだ。もし仮に、自分に35歳の時に子供が生まれたとして、その子供が33歳になったとき、おれは68歳だ。おい、もうまあまあ老いちまってるじゃねえか。いや、今更なにを言ってるんだ?って感じだが、遅れれば遅れるほど成長した子どもと遊べる時間は少なくなる。なるほど、忘れていたけど人間は動物だった。

どこか目をそむけていたけど、人生には期限がある。多分、茅ヶ崎にいるとずっと快適なまま、現状維持を続けて、おれはもっとおじさんになる。だって明らかに住む場所としてはゴールだし、めっちゃ楽しいし。そのままじゃ快適独身おじさんまっしぐらだ。

快適な場所から「なにがなんでも」みたいなバイブスは生まれない

実は昨年12月から白馬にアパートを借りて住んでいた(9末退去予定)。白馬駅すぐ、新築のアパートで超きれい。八方なら10分以内。正直めちゃくちゃ快適だ。海沿いに住んで、山沿いにも住んで、どんな贅沢だよって感じだ。いやほんとに贅沢の極みだと思う。でも贅沢ばっかりしてたらその代わりハングリーさとかパッションが失われてきた。家族がいたらもしかしたらなにか違ったかもしれない。でも一人で見る絶景やスローな感じは日に日につまらないものになっていた。

そこで一つの真理に気づいた。快適な場所にずっといると、死にものぐるいとか、なにがなんでもとか、石にかじりついてでもみたいなバイブスはなくなってしまう。ある程度人生が定まっていりゃ、快適な生活以上の幸せを望む必要はないのかもしれないけど、少なくとも独りの時にそのバイブスを失ってしまって、快適に甘えてしまったら、快適な生活を送っているただのおじさんになってしまう気がした。

快適に目の前のパウダーを滑るんじゃなくて、白馬から5時間運転して当てた福井県の波のほうがワクワクしてしまったんだよなあ。

もちろん、海の近くにいたいし、山の近くにいたい。でも、それだけじゃ多分満足できないし、昔みたいなモチベーションで、自分が滑ることだけにフォーカスしてやり続けるのは厳しいものがある。最近、トレラン頑張ってるけどそれは快適さの反動で、できるだけ不快でしんどいことをして負荷をかけたいのだ。あれくらい強度がないともう生きてる実感がしないとこまできてしまっている。

スノーボードの仕事をする中で常にぶち当たる課題は「新規層が増えていない」

マーケット全体が縮小してきている。その中身は多分「新規のユーザーが増えてない・増えにくい」ことに起因しているのだと思う。もちろん少子高齢化、レジャーの多様化、物価ガソリン高など要因はいろいろあるだろうが・・。2000年代前半のスノーボードブーム末期から頑張ってスノーボードしてた人たちもライフステージが変わって離れていっている印象があり、残っているのは、昔から何十年も続けている人、所得高め仕事もそれなりの役職で時間とお金に余裕がある人、趣味に全振りの20代後半から40代みたいな印象だ(身の回りの実感値込み)。

ありがたいごとに、今はCOWDAYでイベント事業を手伝わせてもらっている。COWDAY SLOPEは10年もののコンテンツで、近年はオリンピック代表に繋がる登竜門として日本を代表する大会になった。今年からは年間を通したシリーズのイベントとして動いており、オフの今も日々仕事をさせてもらっている。今までにないイベントだったり世界観を体現しようとしていて、概念として難しいことを言語化して伝えていかなければならない。その中でいろんな施策や取り組みをしているが、体感としてライトユーザー層へのアプローチの手応えが薄い。手応えのないことを続けるってのは中々しんどいものがあって、雲の中にいるような気分だ(そもそもいないのか届いていないだけのか・・。)

少し話が脱線したが、要するにそもそも興味を持ってくれる人自体が少ないことを感じている。だから、スノーボードに関わる登場人物全員がもっとハッピーになるためには、シンプルに新規層がもっと増えなければならないのだ(言うのは簡単だけど)。既存のプレーヤーを引き止め、楽しませる施策やコンテンツは今あるブランドやメディア、ライダーがたくさんやってくれている。じゃあおれはせめてそれを理解できる人を増やしたい。だから、おれはシンプルに横乗りの新規層を増やすことをやりたいのだ。そこに自分の価値があるはず。

ここからの自己表現はもうビジネスしか残されていない

ライディングでの自己表現にはもう限界を感じている。もちろん諦めたわけじゃない。だけど自分のライディングが人生を変えてくれるものではないのはよく分かる。そんなもんずっと分かってんだ。だから消えるのか?残るのか?どうするんだ?この半年、モヤモヤしていた。どこまでモヤモヤできるんのかと思ったけど、半年もモヤモヤできた。逆にすげえよ。2024年、ほとんどモヤモヤしてたわ。きついわ。そんな中で3つのコンテンツがおれの中で線でつながった。

・シリアスレジャーとはなにか?「好きを仕事に」しない道を作る

要するに、実は趣味を続けるって難しくて、そのためにはその趣味を学習する環境がデザインされている必要があるという話だ。スノーボードはとくに考えないといけない要素が多いから、学習環境がデザインされてないと続けられない。自分が作ったスノーボードサークルが10年以上、形を保ったまま存在しているのは学習環境がデザインされた組織だったらからだということに気づいた。

・クラシコムのマーケティング事例

ECサイト×メディアで成功を収め、上場まで達成しているクラシコム。「北欧、暮らしの道具店」というECサイトのコンテンツを充実させることでカルチャーを醸成しファンを獲得したとのこと。何回読んだかわからないが、これは横乗りの世界に応用できそうだと思った。

・ビジネスを育てる(クラシコムの社長が推してた本)

先述のクラシコムの社長がビジネスを始める時にバイブルにしていたという本だ。手法とかではなく考え方というか概念的な話を教えてくれた。ビジネスを難しく考えすぎていたというか大それたことに思っていたが、要するにビジネスは一つの自己表現で、スノーボードでいうとスタイルだということに気づいた。なんとなく自分でもやれそうな気持ちになった。

「ビジネスをする」ということはお金儲けを指すのではない。あなたが、ほかの誰でもない、あなた自身になるための道なのである。

ビジネスを育てる P.33

じゃあ具体的になにをやるのか

・スノーボードの新規層を増やすためのビジネスをはじめる

モヤモヤし疲れ、回り回って最終的に本筋ど真ん中でやると決めた。もう結論はこれだよ。今やってるスノーボードの仕事に意味を持たすためにもおれは自分で始めなければならない。しないなら消える。でもこんなとこで消えられるかっていう悔しさの方がでかい。

でももうこの記事ではここまでにさせておくれ、ここまで書くのにも相当神経使ったし勇気も要った。もちろん少しは捻ったアイデアというかプランは用意してる(つもり)。続きをお楽しみに。

  • この記事を書いた人

Takahiro241

年間滑走100日の横乗りLOVER。スノーボード歴15年、サーフィン歴3年、スケボー歴8年。ランニング、サッカー観戦、カメラなど趣味が多いです。

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