前編では競技者時代の話を深く聞かせてもらった。後編では競技者を退いた後のお金の話や仕事についての話を聞いていく。最終的にナショナルチーム加入まで上り詰めた選手のリアルなセカンドキャリアとはどいういうものなのだろうか。
競技者を終えたあとのセカンドキャリア
───22、23歳くらいは世間でいうと、大学生が卒業して新社会人になるようなタイミングでもあるわけやけど、新しいことを始める苦労とかはあった?
社会人経験がなかったので、まずは自分の経験からイメージしやすいコーチ業にトライしてみました。そこでは、苦労というよりどちらかというと葛藤がありましたね。例えば、今までは自分が滑って表現する方だったのに、それをサポートする側になると、一歩引いて見てる感じがして違和感があって、「ほんとうにこれがやりたいことで、先はあるだろうか」みたいな葛藤がなんとなくありました、スノーボードに携わる仕事っていうのはこのコーチ業が初めてでしたからね。
───競技者とコーチでは求められるものは全然違う?
うーん、そうですね。コーチとしてのサポートって、どれだけ自己犠牲をできるかっていうところがあるから、それまで自分のやりたいようにやってベストを尽くすことに集中してきたから全然求められるものが違いましたね。もちろんいろいろ学べたので振り返るとやってよかったですけど、就任当時はわからないですよね。
プロスノーボーダーの体当たりの社会勉強
───スノーボードとは関連のない仕事にもチャレンジしたの?
やりましたけど当時、目の怪我とか色々あってあまり動けない時期がありました。それが落ち着いてから動き出そうと思って、いろいろ調べていると、PayPayの販路拡大の営業の募集を見つけました。ちょうどその頃は、QRコード決済が普及し始めた頃で「QRコード決済ってなんだろう」くらいの知識だったんですけど、おもしろそうだなと思ってトライすることにしました。業務内容はお店にPayPayの決済システムを置いてもらう営業です。タブレットを持って、地域を回って飛び込み営業をしていました。その会社の社員は、みんな業務委託の個人契約だったので、1週間あたりの新規獲得ノルマが課されており、それを達成できないとすぐにクビになるという厳しい環境でした。それでもはじめは楽しみながら頑張っていましたが、「一体何をやっているのだろう」と思うようになってきてました。
学ぶことは多かったですよ。飛び込み営業は俺には絶対向いていないと思いながらやってましたけど、ここで人との話し方とか接し方を学びました。そりゃあ門前払いされることも沢山ありましたし、飛び込んだ先がたまたま自分のことを知ってたりして「たつきくんなにやってるの?」とか言われて内心少し傷ついたり、、、、葛藤がすごくあったんですけど「これが社会なんだな」って身をもって知りました。この経験は自分の中ですごく大きくて、やってみてよかったです。
───全然そんなことやってたなんて知らなかったし、今聞いてすごいと思った。あんなにスノーボードで輝やかしい結果を残してたりして、普通だったらプライドとかが邪魔して素直にできなさそうやけど、そこをちゃんとやってるあたりすごいなって思う。
父親はずっとサラリーマンしていて、いつもめっちゃ疲れて帰ってくるんですけどなぜかそれにちょっと憧れがあったんです。だからそういう世界を知りたかったし、スノーボードしかやってこなかったから。社会のことを何も知らない状態だったし、それを知ることに好奇心がすごくありました。
───物事への向き合い方がやっぱり一つのことを突き詰めてきた人な感じがする。多分、何をやっても全部上手く自分の糧にしていけるんだろうなって思った。
それと同時にその頃は「そもそもお金ってなんで生まれるんだ、金額の大きさってなんなんだ?」というのを考えていました。方向性に迷っていた時期でもあったので、圭司さん(岡本圭司:プロスノーボーダー)や武藤さん(武藤敬介:ジャイロテクノロジー代表)、キングスグループ代表の押部さん、お世話になっているムラサキスポーツとかサロモンの人とか思いつく限りの人に会って、人生のことやお金に関して根掘り葉掘り聞いてました。マジでどうやってお金を生み出したらいいんだろうっていうのが分からなかったから、聞けそうな人には失礼だけど年収も併せて根掘り葉掘り聞いてましたね。
───具体的にどんなことが分かったの?
みなさん親切に答えてくださいました。その中で特に印象に残っているのが武藤さん。今でもすごくお世話になっています。少しエピソードを話すと、とある仕事で武藤さんと一緒にニセコに行った際に、ナイターを滑りに行きました。ペアリフトに乗ってる時、「急にお前、今後どうすんだ」って聞かれて、当時、眼の病気で悩んでいた自分は「いや、わかんないっす」って答えました。
そこで具体的に何も答えられずいたのですが、武藤さんは「とにかく信頼だよ。信頼を積み重ね続けることで繋がっていく。信頼の大きさが金額の大きさにもなる」って話してくれたんです。この言葉は今でも大事にしています。本質だなと思っていて「とにかく自分は信頼を重ねていこう」というマインドになりました。今ではジャイロテクノロジーの仕事をお手伝いさせてもらったり、日本代表のコーチとしても繋がりがあるのでとても感謝しています。
仕事をするうえで大事にしているマインド
結局、いろんな人と話をしてみて「今ある目の前にあることを全力でやって、周りにいる人たちから信頼を集めていこう」という結論に行き着きました。それは今でも変わらなくて、大事にしている考え方です。それさえできていれば、あとはなんでもいいんじゃないかと思っています。
───大事なのは「信頼を積み重ねる」ってことなんやね。一番聞きたかったことを聞けた気がするわ。代表コーチとかCOWDAYとかいろいろあるけど、あらためて今どんなことをしているか教えてほしいな
目立つところで言えば、一つがSAJ(全日本スキー連盟)での代表チームのコーチです。全日本スキー連盟の中で仕事をさせてもらっています。もう一つはCOWDAYを始めとしたスノーボードのイベント運営です。BURTON MYSTERY SERIESやNISSAN X-TRAIL Rail JAM、NEKOMA BIGAIRなどもやりましたね。もう一つは武藤さんのジャイロテクノロジーで、WEB周りの仕事をさせてもらったりライダーワークス(プロスノーボーダー育成チーム)のサポート活動をしています。プロスノーボーダーとしてはサロモンとムラサキスポーツが契約してくれているのでライダーとしての活動を続けています。
───なるほど、まとめるとプロスノーボーダーとしても活動しつつ、今までの経験や人とのつながりを活かして価値が発揮できるところで仕事をしてるってことやね。
そうですね。別に狙ったわけではないけど、気がついたらそうなってたという感じです。
キャリア観とコーチ業から思うこと
───「好きを仕事に」みたいなフレーズがあるけど、たつきの実感としてはどんな感じなの?
いやー、大前提を話すと「好きなことを仕事にしたい」と思ったことは1ミリもないんですよ。自分が活かせるところと信頼を積み重られることを続けてきたらこうなりました。環境が違ったら、もしかしたら違うことをしていたかもしれません。外から見ると好きなことを仕事にしているように見えるかもしれませんが「そうではないんだよな」と思ってます。誤解を生みたくないのであえて言っておきますが、今やっている仕事は好きですよ。
代表チームでは、若い子たちと過ごす時間が多くて、彼らには「たつきくんっていつ息抜きしてるんですか?」って言われたりします。そもそも息抜きが必要だと思ったことがあまりなくて、、、ということは多分今やってることが好きなんだなって思います。だから好きなことを仕事にしてるわけじゃなくて、仕事が普通に好きですってことです。
───スノーボードも好きってことでいい?笑
はい。もちろんスノーボードは好きですよ。そもそも「好きなことを仕事に」みたいな概念で動いてなかったという話です。
───代表コーチでは10代の子たちとたくさん関わりがあると思うけど、今と昔で価値観の違いみたいなのってあったりする?
本質的にはそこまで変わってないと思います。ただ、唯一違うなと思うのは世代を越えた縦のつながりが減っているかもしれないと思います。今、自分がこういう風に活動できているのってHYWODとか圭司さんを含めた先輩がいたからなんですよ。だからその縦のつながりっていうのはすごく大事だと思っています。良くも悪くも、今の競技としてのスノーボードは、スポーツとして形ができあがってきています。コーチがいて、そこで教えてもらうみたいな構図なので、先輩と関係性を築いていくみたいな概念がなくなってきている感じがあります。
自分も現役を退いてからの今だから分かるので、競技者の頃に理解するのは難しいですが、自分にとってはその縦の繋がりがセカンドキャリアでも大きかったということです。やっぱり上の人たちは自分たちが経験してきていないことを知っているので、そこで得るものってめちゃくちゃ大きいし、考え方の幅も広がるから縦のつながりは必要なんじゃないかなと思います。でも選手たちはマジで世界のトップ目指してるし、ほんとにすごいですよ。これはだいぶコアな話ですね。
自分がやってもらっていたように自分の経験を下の世代に伝えていくことで、ゆくゆく後輩達と何か一緒に出来たらいいなーとよく思っています。
そして業界復活のキーマンへ
───最後にちょっと切り口を変えて、ウィンタースポーツ業界にとんな人が入ってきてくれたらもっとよくなりそうとかイメージあったりする?
具体的なイメージは難しいですが、優秀でスノーボードが好きな人ってたくさんいるはずなので、そういう人たちに入ってきてもらいたいですね。一般的にはお金のあるところに優秀な人が集まるとはいえ、そういう人たちが手伝いたいと思える業界にしなきゃいけない。最近、いろんな社会人出身のスノーボーダーの人たちと話したり繋がることがあっていろいろ学ばせてもらってます。その中で、もっと勉強すればよかったとか自分の足りなさも感じたりするけど、前編で話したような競技者・ライダーとしての人生がなければ今の自分はないので、それはないものねだりですよね。スノーボードは魅力的なものだし、だからこそ好きでハマる人がたくさんいるし、そこで仕事をすることも魅力的なものだと思ってもらえるように、今あることをやっていくしかないかなと思っています。
───いい話をたくさん聞けていいインタビューだったよ。信頼を積み重ねて盛り上げていこう!
前編はこちらから↓
プロフィール
稲村 樹(いなむら たつき)
愛知県出身、1995年生まれ。競技シーンで卓越したスキルを武器に活躍した後、プロスノーボーダーとイベントオーガナイザーとして業界に貢献している。
スポンサー
・サロモンスノーボード
・ムラサキスポーツ